ピアノ教育メソードの歴史は、意外と浅かった! -6-
そのピアノ教師が「感情的に」怒っていた理由は、きちんとした方法論が解らないためだった。
という真実が、やっと判明。
でも、当時はまだ、良い指導メソードが開発されていない時代で、仕方なかったのかも……。
とも思い、「ピアノ指導メソード」が、いつ頃から日本で浸透したのか? を調べてみました。
○音感教育……フランスから帰国した園田清秀(園田高弘の父)が1934年に始めたが、教育法として体系づけた笈田光吉や酒田富治により、戦後、広まりをみせた。
○桐朋学園「子どものための音楽教室」……ピアノの技巧訓練と音感教育が一体の早期教育をするため、1948年に桐朋学園音楽部門に設立された。小澤征爾や中村紘子らの躍進で1960年代に、とりわけ知られるようになった。
○ヤマハ音楽教育……音感教育の酒田富治らを含むチームにより開発された指導メソードで、1954年に実験教室が、1959年に「ヤマハ音楽教室」が全国展開。
○バスティーンメソッド……ピアノの演奏技術を身につけるだけではなく、音楽のあらゆる分野を学習しながら幅広い音楽体験ができる学習法で、1970年代にバスティン夫妻により、創始・開発。
○ペースメソッド……ペース博士により開発されたメソッド教本シリーズが、アメリカでは1977年、日本では1983年に刊行。
○ピアノアドベンチャー……ペース教授から学んだフェイバー夫妻により開発されたメソード。アメリカでは1990年代、日本でも2000年以降に購入可能に。
(メソードは他にも何十種類も沢山……)
情熱だけで(感情的に?)教えていた理由は、
体系化されたピアノ教育メソードが、まだ一般に普及されていなく、仕方なかったのかも……。
そう思えるようになってきたのです。
つづく
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