なぜ、ピアノの練習をするか?
久しぶりの何も予定のない日曜日。ゆっくり朝食をとって新聞を。
●愛犬が亡くなった時、お別れの儀式に、
(菊ではなく)可憐なお花 ・(お鈴の代わりに)ハンドベル ・(お経ではなく)レクイエム集のCD
を、あわてて準備しました。
そのレクイエム集の中で、「フォーレ作曲のレクイエム」が一番私の気持ちにはぴったり来たので、
「私のお葬式の曲は、“フォーレのレクイエム“がいいな」と思っていました。
本日の朝刊で、日野原重明さんの葬儀の記事を発見。
偶然です。どちらかが真似をしたのでは、決してありません。
●同じ朝刊の別のページに、仏教の地獄絵図の記事。
「悪事を行うと、こういう目に合う。だから悪事をしてはならぬ」との教え。
人をコントロールするための「単純な脅し」にも思えました。
なぜ、窃盗や殺人をしてはいけないのか?
人間は、努力して報酬を手にし幸福に生きる権利がある。「その人間の権利を犯してはならないから」。
「死後、煮えたぎった釜に入れられ怖いから」ではありません。
宗教を否定する気はまったく無いし、信仰心は尊いと思います。
でも、まるで「体罰」「暴力」を正当化するような図に……絶句。
なぜ、ピアノの練習をするか?
「練習しないと、先生や親に怒られるから」「怖いから」ではありません。
「ピアノがうまく弾けると、心が気持ちいいから」「楽しいから」
そう、生徒が思える指導をできれば……。
そんな指導は、脅したり怒ったりしてコントロールするより、何倍も難しいです。
でも、それをするのが、ピアノ教師。
私は、そう考えます。